堀辺師範のサイン。

プロレスとも縁深かった骨法の創始師範、堀辺正史氏が昨年暮れに亡くなっていたという。訃報を聞いて真っ先に思い出したが、実は当方、かつて堀辺師範からサインを頂戴している。今回は、その思い出について書いてみたい。

1986年というから中学三年生の頃だが、この年に開催された「全日本サンボ選手権」が、自分にとって初の後楽園ホールでの観戦だった。佐山聡氏の出場で話題を呼んだ大会で、会場の雰囲気はアマチュア競技とは思えないほど華やかだった。

イベント終了後、南側の客席に骨法の堀辺師範の姿を発見した。快くサインに応じてくださった師範から「どうですか?」と大会の感想を尋ねられたので、俺は「(佐山選手の)技が奇麗で驚きました」と答えた。師範はニコッとして「美しいということは強いということですね」と握手をしてくださった。会話状態になるとは思わなかったので、短い時間ながらとても緊張したことを憶えている。

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↑写真のパンフレットには、佐山聡氏とビクトル古賀氏にもサインを書いて頂いた。「こんなおじさんのサイン貰ってどうするの?」とペンを走らせていた古賀氏の笑顔を思い出す。

30年経って判明したが、俺が後楽園ホールで初めてサインを求めた人物は、意外にも堀辺師範だった。骨法は傍目には謎が多く、実戦格闘技を謳いつつ幻想的な側面を持っていたが、それが故にプロレスとの相性は抜群で、「週プロ」誌上では随分と楽しませて頂いた。師範と編集長との対談に腹を立てたプロレスラーが編集部に怒鳴り込んだこともあったそうだが、怒る方にも怒らせる方にもパワーがあった時代だったことは間違いない。今となっては、何もかもが懐かしいばかりだ。


[プロレス、格闘技]
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ハヤブサ選手。

第一報が飛び込んでから、Facebookのタイムラインはハヤブサ選手の訃報で埋め尽くされた。とりわけ海外での反応の大きさには驚かされた。ハヤブサ選手は、やはり現役のプロレスラーだったということだろう。

新生FMWのスタートが1995年、俺は大学に通って5年目を迎えていた(3年生を2回やったもので)。大仁田厚から卒業したFMWを、大学を卒業し損ねた俺が観戦するのは、今思えば妙な構図だった。それでもハヤブサ選手は、感情移入せずにはいられない存在だった。粋なペイントを組み合わせた独特なマスクも、「ポスト大仁田」の重圧を示唆する悲壮感漂う入場テーマも、とにかく全てが新しかった。そして、その動きはとても洗練されていた。長い手足が空中の軌道に残って、まさに猛禽類の直滑降を想起させた。そんなスマートな身のこなしには、初代タイガーマスクを思わせる品格があったが、これはまさに天性のものだろう。W★INGファンだった俺は、凶悪な松永さんたちがポッと出のアイドルを蹂躙して奈落に叩き落とす展開に期待していたが、最後は必ずハヤブサ選手に勝って欲しいと願っていた。俺は、ハヤブサ選手が背負った運命を愛していた。

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↑故人とお会いしたことはなかったが、某社を介してプロデュース興行のポスターをデザインしたことがある。その後担当者からライブイベントに招待して頂いたが、来客への応対で多忙なハヤブサ選手に挨拶することは叶わなかった。担当者氏から「また別の場所で…」と頭を下げられたが、その機会は永遠に失われてしまった。正直なところ個人的な面識は必要ないから、一ファンとして、とにかく長く生きて欲しかった。

FMWにはハヤブサ選手とサブゥー選手という、二人の「王子様」がいた。全国中にインディ団体が増えていた頃だったが、FMWが突出した風格を維持していたのは、彼らの高貴な存在があったからだと思う。二人の対決には、とにかく色気というものがあった。

スターは作られるものかもしれないが、ハヤブサ選手ほど完璧に才能をクリエイトされた存在は、どのジャンルに於いても極めて珍しいのではないだろうか。プロレスには、試行錯誤や苦悩を表現することで共感を得られる懐の深さがある(そこを端折ろうとしたのが、例えばサンダーストームなんだろうなあ)。勿論、最終的には地力がなければ認められない訳で、やはりハヤブサ選手は生まれながらにエースになる存在だった。生きるか死ぬかという切迫感を伴った回転技は、俺はハヤブサ選手の登場まで見たことがなかったよ。

仕事をしながら、一晩中ハヤブサ選手のことが頭から離れなかった。まさにヒーローであり、スターであり、アイドルだった。寂しいです。


[イラスト、デザイン][プロレス、格闘技]

「プロレス入門」。

我々世代のプロレス好きなら、知らない者はいないであろう「プロレス入門」(小学館)について、ちょいと書いておきたい。

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↑馬場、猪木両巨頭の笑顔とVサインが眩し過ぎる、実に感じのいい表紙。クラス中の子供たちが読んでましたね、これは。

個人的にも生まれて初めて買ってもらったプロレス本として深い思い入れのある一冊だが(所持品は昭和54年2版4刷)、今朝方資料として眺めていたところ、数名の挿絵担当者たちの中に「弘兼憲史」の名前を発見して目を疑ってしまった。

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↑弘兼憲史って…「課長島耕作」の? えーと、本当に? これまで30数年この名前に気付かなかったのは絵描き失格ともいえる失態だが、まさかプロレス本に「課長島耕作」とは思いもよらないし、そもそも該当するような絵柄が記憶にない。

というわけで幾つかのイラストを検証してみたが、恐らく…こちらですよね? 

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↑ジャイアント馬場の横顔に見られるドングリ眼、これはかなり「課長島耕作」っぽい。他の作家のイラストと異なり、付けペンのタッチや背景の効果線が漫画家然としている。失礼ながら弘兼作品をあまり読んだことがないので判断材料に乏しいのだが、ファン、愛読者の方であれば更に決定的な共通点を見付けられるかもしれない。

それにしてもアイアンクローといい、32文砲といい、解説にあきらかな嘘八百が並んでるよな。まあ、これが昭和のプロレス文化というものですよ。

調べてみると、弘兼氏の出世作「人間交差点」の連載開始が1980年(昭和55年)。つまり「プロレス入門」は、大作家誕生前夜に出版された一冊であることが分かる。小学館での漫画家デビューは遡って1974年。こういった単行本へのイラスト仕事を回されて、未来の巨匠は来るべきブレイクに備えていたのだろう。

周辺では「プロレスラー島耕作」に期待したいという声も挙っているが、遅ればせながら感動的な発見であった。まさか「プロレス入門」に、このような「人間交差点」が隠されていたとは…。


[プロレス、格闘技]
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